「しっかり抱いて、下に降ろして、歩かせる。」

 講演では、まず渡辺京二署の「逝(い)きし世の面影」を紹介することで、かつての日本の良さに触れ、子供の教育は如何にあるべきか解いています。
 江戸末期から明治初期に来日した外国人の識者が見た日本人は、幸せそうな笑顔、陽気でよく笑う、礼儀正しく親切、おおらかな性格、子供が大切にされている、動物との共生、仕事や生活そのものを楽しんでいた。
 わずか150年の間にどうして今のような(マナーが悪い、いじめ・学級崩壊・不登校・ニート)日本になってしまったのか。大変残念なことですが、全て親が悪いとのことです。
 どうしたらいいのでしょうか。結論から言うと、「しっかり抱いて、下に降ろして、歩かせる。」ということです。
 まず、「しっかり抱いて」は、幼児期に親から受ける愛情です。乳幼児期の子供とのかかわり方で、この時期に人としての基本の型を形成、共感性(人の痛みをわかる子になる、相手の立場で感じる子になる)を身につける。大切なのは乳幼児期の躾(しつけ)。今の親は、自由・個性と躾を履き違えていて、しっかりとマナーを躾ていない。マナーを躾けると子供の個性があたかもなくなるような錯覚に陥っている。。
 かつての日本は、「ならぬものはならぬもの」ということをしっかり躾けていました。
 「ならぬものはならぬもの」とは、
 1.年長者の言うことに背いてはならない。
 2.年長者には、お辞儀をしなければならない。
 3.うそを言ってはならない。
 4.卑怯な振る舞いをしてはならない。
 5.弱い者をいぢめてはならない。
 また、子供の成長段階においては、よく褒めること・励ますことが重要です。ちなみに、世界で一番褒めること・励ますことが少ないのが日本です。「育」という言葉の語源は親鳥が雛を「羽含む」すなわち羽で抱きしめるということです。最近、授乳中に携帯電話をかけている母親が増えているそうですが、子供は授乳中に母親の目を見ています。携帯をかけることにより目をそらし・気をそらし、それがわが子に対する最大の虐待です。これでは、学校でいくら道徳で正しいことを教えても、言葉でわかって心で感じない子になります。要するに、共感性(相手の立場で感じる)が育たない。子供が成長してゆくのに最も必要な対人関係能力・自制心とかが育まれない。親心が崩壊すれば、子供は優しさや共感性を学ぶチャンスを失うことになります。親から愛着心を授からなかった子は、この後説明する自立で失敗します。
 また、今の日本は、恥の文化がなくなってきたとのことです。例えば、高校生になって教室とか電車の中で化粧をしてもなんとも思わない。ある高校生が電車の中で化粧をしていた時、前にいた外国人に「あんた常識ないね」と言われても、何でそんなことを言われたのかわからないからポカンと口を開いたままだったとのこと。やってはいけないこと、恥になることの判断ができなくなっている。三才までに、善・悪・共感性(人の痛み)が形成されます。今の子供が、突然切れるのは共感性・自制心が育っていないからとのことです。
 
 次に「下に降ろして」ですが、愛着からの分離のことをいいます。子供の船出のことです。いつまでも抱いていては、自立できません。自立させるタイミングが難しい。高橋先生は、自分の中学1年生の時の弁論大会の時、全面的に信用していた父親から原稿を持って行ってはいけないと言われ、「お父さん、絶対に見ないから原稿を持って行かせて欲しい」と懇願したが、「史朗、だいじょうぶ」と言われ、原稿を持たないで弁論大会に望んだ。「諸君」と言った瞬間、皆の爆笑に会い、頭の中が真っ白になり、原稿を全て忘れてしまった。海の中で溺れたような気分になった瞬間、父親の「史朗、だいじょうぶ」が心の中で聞こえ、その瞬間みごとに原稿が蘇り、弁論大会を乗り越えたとのことです。高橋先生の自立の瞬間です。親から授かった愛着心が自立を助けたのです。
 
 最後に「歩かせる」は自立です。
 
以上の「しっかり抱いて、下に降ろして、歩かせる。」を千の利休の「守・破・理」より子供の自立までを説明しています。
   「守」は基本を身につけ、
   「破」は基本を元に改良、
   「理」は自分独自の新しい理論を作り上げる。
また、明治時代のことわざで説明
   家庭の教えで芽を出し
   学校の教えで花を咲かせ
   世間の教えで実を成らす

「親が変われば、子も変わる」
自分以外の何かを変えなければならないと考えている限り何も変わらない。
今、親心が崩壊している。
インドのマザーテレサの言葉「インドやアフリカが滅ぶとしたら貧困だが、日本は心の 貧しさで滅ぶ。豊かな日本に心の貧しい人がたくさんいる。家庭が愛に満たされなければ、隣人を愛せない。」
世界でもっとも幸せだと感じている国民は、ナイジェリアとメキシコとのこと。意外です。 アメリカのニューズウイークの分析では、逆境とか貧困・挫折・失敗により、逆に家族・ 地域・国の絆は深まりそこに幸せを見出しているとのことです。
金銭欲求の高い人ほど、幸福ではない。
ある学校の出来事です。
「雑巾は手でぬって、子供に渡してください。」とPTA役員がお願いしたところ、
「スパーで買おうと私がぬおうと雑巾には変わりがない。」と誰かが言った意見に会場 から拍手喝采だった。
本当にそれでいいのでしょうか。それで子供が幸せになるのでしょうか。ぬくもりとか伝わるのでしょうか。
ある保育所、鼻水の出ているわが子をみて、保育士を呼び「鼻水が出ていますよ」と言った。鼻水を拭くのは、親の役目なのに、サービスをどんどん拡張した結果、親心が崩壊していっている。
サービスを拡充すれば、親と子の絆は薄くなる。

重度の脳性マヒの少年の詩
1.「ごめんなさいね おかあさん」
  ごめんなさいね おかあさん  ごめんなさいね おかあさん
  ぼくが生まれてごめんなさい 
  ぼくを背負うかあさんの  細いうなじにぼくは言う     
  ぼくさえ生まれなかったら  かあさんの白髪もなかったろうね  
  おおきくなったこのぼくを  背負って歩く悲しさも  
  「かたわな子だね」と振り返る  冷たい視線に泣くことも  
  ありがとう おかあさん  ありがとう おかあさん 
  おかあさんがいる限り  ぼくは生きて行くのです。
  脳性マヒをいきていく優しさこそが大切で
  悲しさこそが美しい
  そんな人の生き方を 教えてくれたおかあさん
  おかあさん あなたがそこにいる限り

2.「ありがとう」
  おかあさんありがとう  おかあさんが守ってくれた命
  ありがとうおかあさん  ぼくは今たくさんのあたたかさを知りました
  何もできないぼくだけど  なんとなく幸せ
  かあさん小児マヒにしてくれてありがとう

障害児をもったおかあさんの詩
  なにげなく過ぎてしまうこと  あたりまえに過ぎてしまうこと
  それも途方もなく輝いてみえるのは  障害の子をもった幸せ
  はじめて私の顔をみて笑った日
  はじめて言葉を話した日
  はじめて水道の蛇口をひねった日
  はじめて一人で電車で出かけた日
  そのたびに ぐっと空に向かって 叫びたくなる
  胸の中から何かが湧き出して 大きく大きく見えてくる
  あたりまえのことなのに  大きな声で皆に伝えたくなる
  あたりまえでないってすばらしい

みごとに共感性が育っていることに驚きます。高橋先生は、親と子の互恵関係であると説明しています。子供のめんどうをみることでお互いに成長していくということです。

本文へジャンプ
高橋 史朗先生(明星大学教授)の講演       「親が変われば、子もかわる」