古屋和雄先生の紹介
 富士河口湖町生まれ、(本町、特別町民)富山県育ち。早稲田大学第一政治経済学部を卒業後、1972年NHK入局。初任地は福井局で、その後釧路局、東京アナウンス室、大阪局などで勤務。テレビ・ラジオの情報系を中心としている。特に生活情報系を多く担当してきた。現在はエグゼクティブアナウンサーとして活躍中。初めての子供は、48才の時、現在、小学校5年生(11才)・3年生(9才)・2年生(8才)の3人。小学校のPTA活動は、ポイント制になっていて1人の子供につき12ポイント獲得しなければならない。3人なので36ポイント獲得しなければならない。PTAを1年間すると6ポイント獲得になる。つまり、ほぼ毎年PTA役員をしなければならない。今年は校外委員で毎週のように朝の挨拶運動に参加。また、奥さんも朝7時から夜の8時ごろまで勤めに出ているので、子供は、学校が終わると学童で預かってもらい、夕方、古屋先生が迎えに行き、夕飯も支度したりする。NHKのエグゼクティブアナウンサーという重要なポジションにあり、また多くの著書も出版し、家庭のこと・PTA活動等積極的に参加しているのには驚かされました。自分もがんばろうという気持ちになりました。


T.子供の幸せ
(1)「ありがとうと言ってくれる一言がうれしいからがんばれる」

 古屋先生が大阪勤務の時、阪神淡路大震災を経験。「被災地からの声」という番組で、古屋先生と同じくらいのヤワトリさんにインタービューした時の体験ヤワトリさんは、古屋先生と同じように高齢で授かった最愛の娘を災害で失った。助けることができなかったことで、自分を責める生き残り症候群というつらい体験を語る。それをインタビューしていた古屋先生は、ヤワトリさんの無念の気持ちを察すると声が出なくなり思わず絶句してしまった。NHKアナウンサーとしては、どんな時も冷静に仕事をしなくてはいけないという視聴者の声もあったが、NHKアナウンサーにはない人情味を感じた視聴者は「古屋アナウンサーは失敗したかもしれませんが、怒らないでください」とか「給料を減らさないでください」とかの励ましの手紙が約200通ほどきた。どんなに励まされたことか察します。今でも大切にとって置いてあるとのことです。アナウンサーという仕事をするうえで心の支えになったに違いありません。そんな悲惨な被災地で、最も活躍したのが若者達であった。重いポリタンクに水を入れ、団地の上階にいるお年寄りの所に運んであげ、被災者の心の助けになった。何ヶ月かして古屋アナウンサーが「あなた方は、どうしてこんなに長くボランティアをしているのですか」という質問に、若者はしばらく考えた後「あ、そうだ!ありがとうと言ってくれる一言がとてもうれしい」と答えた。裏を返せば、今の若者は、「ありがとう」と言われる機会が少ないのではというこです。先の県P講演高橋史朗先生の日本は子供を褒めることが最も少ない国ということが思い出されます。子供が良い行いをした時には、褒めてあげたり感謝したりすること。また、そういった体験ができる機会を与えることが大切とのことです。
(2)「体験不足・本気不足について」
 古屋先生の小学校5年の時の体験、富山から河口湖までの1人旅、途中40分ぐらい乗り継ぎで待っていた駅での出来事。心細かった古屋先生が、行商のおばあさんからもらった1杯の冷たい麦茶。あの麦茶が今までで、一番おいしかったとのこと。あの時受けた恩を返すつもりで、高齢者問題の番組を取り組んでいるとのことです。古屋先生の自立体験だったのでしょう。要するに、自立体験・本気体験がとても重要ということです。体験不足・本気不足のために自立できないということです。小学校5年で一人旅させた父親の決断がとても立派です。
(3)「子供の引きこもりについて」
 NHK「引きこもりキャンペーンネット専門家が答える」の番組を担当して、親の相談が多いかと思ったら、本人からの相談が多かったことが意外だったそうです。日本の教育を歴史的にみると、1983年頃校内暴力がひどくて、原因は勉強がやたらと難しくなったことによるストレス。その後、校則を厳しくして、おとなしくさせた。おとなしい子がどんどん作られていった。現在の指示待ち族の原因でもあるようです。指示があるまで行動しない。また、古屋先生は、日本の家族の特徴に注目しています。子供が引きこもると、親はみっともないということで、社会と切り離し囲ってしまう。要するに子供が社会から離れて、親も社会から離れ、二重の壁を作ってしまう。それでは、なんの解決にもならない。人間関係がうまくいかない場合は、人間関係で取り戻す以外に方法はないとのことです。外国では、親が社会に対して相談したり働きかけて問題を解決する。例として、引きこもりになった子供を、父親が釣りに連れて行き、そこにたまたまいた釣りの上手な人と知り合いになり、そのうち息子が一人で釣りに行くようになって、その釣り上手な人を師匠を慕うようになり徐々に社会性を取り戻すようになったとのことです。
(4)世間が消えた
 地下鉄で平気で化粧する。他人の前では何をしても平気。世間が消えた。
高度経済成長、四角いコウクリートで囲まれた世の中になり、隣は誰かわからない世の中になった。昔は、お寺で歌舞伎とか皆でやった。村の人たちに一生懸命教えて、裏芝居とかやって、地域の集まりがあった。いつの間にか地域の集まりとかが少なくなってきた。地域をどうやって復活させるか。地域はうっとうしいもの、プライバシーとか言っているうちに、お祭りをいっしょにやろうという仲間がいなくなった。世話やきのおばさんがいなくなった。昔のいいところは、少しづつ取り戻すことが大切とのことです。

U.夫婦の幸せ
(1)本当の優しさについて

 ある夫婦を例に説明しています。妻は毎日夫のために、夕飯にフルコースを用意していた。夫は会社の営業の付き合いで毎日外食して帰宅。そのことを妻には、話さず無理して妻の作ったフルコースを食べていた。ある時、妻のほうから離婚の話になり、夫は妻に向かって「ほんとうは、お茶付けを食べたかった」と言った。古屋アナウンサーの「どうしてお茶漬けを食べたいと言わなかったのか」との質問に、それを言うと妻が傷つくと思ったとのこと。でも、それは嘘。実はそれを言うと、妻が嫌な顔をすると思い、そういう顔を夫が見るのがいやであった。お茶漬けが食べたければ、俺は毎日仕事のついでに外で食べてくるからお茶漬けでいいんだよと言えばよかった。夫が妻に言いたいことを言えないのは、優しさではなく、実は自分が傷つきたくなかったからではないか。言ってあげれば、奥さんも夕飯の支度が楽で助かるのにと思いました。
(2)男と女の生き方の違い
「おはようジャーナル」という番組で、男と女の生き方について考える。
女は家のことを一生懸命やる。
男は仕事一筋、60才を境に元気がなくなる。
女は40才、子供が巣立った頃、さてこれからどうしようという時、昔は人生50年、今は80年、人生まだ半分だということで、これからは自分の名前でがんばろうと目覚めて、自分なりの第2の人生を設計する。
回復する妻と弱ってくる夫。
妻はどんどん外へ。
夫も地域との関わりを積極的に持たなければ、チャンネルの少ない人生を送ることになり、気がついたときにはもう遅い。仕事オンリー人間にならないで、地域との関わりをもっと積極的に持つべきとのこと。60才からは、何かこういうことをしようと楽しみにすることが元気になる秘訣とのことです。
 日本では、夫は妻のことを「お母さん」、妻は夫のことを「お父さん」と呼んでいるのが一般的。子供を中心に考えた呼び方になってる。役割で考えた呼び方である。家族の中でもお互いに名前で呼び合うことが大切。人格をもっと尊重した家族付き合いが大切。そういった日本の文化を変えることも必要とのことです。
(3)アサーショントレーニングについて(人間関係が上手くいく会話)
 自分の言いたいことをさわやかに言う。感情的な会話にならないように、例えば、夫が言ったことを一旦受け止める余裕が欲しい。夫は仕事人間なので、話をするのに必ず結論に向かって話すが、妻の話には、例えば1日あったことを話すとか、結論はないことがある。ただ、夫としてもそれを受け止めるくらいの余裕が必要とのこと。共鳴する会話が必要で、今の家族に必要なのはカウンセラー。誰もが話したいことがいっぱいあるが、聞いてくれる人がいない。家族の話を聞く余裕が欲しいものです。
(これは、即役に立ちます。実行してみてください。)

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