河口湖だより




河口湖だより令和6年12月号




心身を浄め今年一年を締めくくりましょう

                           生長の家富士河口湖練成道場

                            代表役員(主管)井下 昌典

  「人のわろきことはよくよくみゆるなり わが身のわろきことはおぼえざるなり」蓮如上人の言葉です。

 昔、「今まで、悪いことをしたことがない」と言う若者がいました。

 ある老僧は彼に言いました。「バケツに一杯になるように小石を集めてこい」と。若者は、庭中から小石を集めてきました。さらに老僧は、「このバケツ一杯分と同じ重さの大きな石を一つもってこい」と言い、若者は庭の端から大きな石を運んできました。今度は、「ではその大きな石をもとの場所へ戻してこい」と老僧が言いました。若者はしぶしぶ石を元の場所へ返しました。続けて、老僧は命じます。「では、バケツの小石をそれぞれ元の場所へ戻して来い」と。さすがの若者も黙っていません。「小石のあった場所をいちいち覚えていません。無理です」。

 すると、老僧が言いました。「お前の犯してきた罪も同じだ。大きな罪なら、忘れもしまい。だが、小石のように小さな罪は身に覚えがないものだ。小石でも集めると、大きな石と同じ重さになるように、お前が気付かずに犯してきた罪はとても重たいものである」と。

 一般的に考えると「悪い事と知らずにやってしまったことは仕方がないけれど、悪い事と知りながらやったのであれば、そのほうが罪は重い」という答えになると思います。紙面の都合上詳しくは書けませんが、このことは生長の家創始者・谷口雅春先生のご著書『新講「甘露の法雨」解釋』(二八八~二九一頁)に詳しく書かれています。ぜひ、ご一読ください。

 私たちの行動には動機があり、結果が付いてまわります。神様の御心に叶った行動は双方とも矛盾しないはずですが、私たちの心が現す現象世界では動機と結果が矛盾する場面があります。そうならないためにも、日時計主義と倫理的な生活の実践を心掛けたいものです。

 冒頭の蓮如上人の言葉や寓話は、私たちの身に覚えのない小さな罪も繰り返すことで、警察沙汰になるような大きな罪と同じですよと教えられました。他方、私たちが良かれと思った行動も、相手の受け取り方で罪と成らずとも、誰かを傷つけてしまったということは無いでしょうか。知って犯した罪汚れは浄心行で、自分の記憶になくても知らずに犯した罪汚れは大祓いで浄め、今年一年を締めくくり、新たな年の第一歩を踏み出す準備をいたしましょう。